資料請求 LINE相談 学校説明会
オープンキャンパス
セキュリティ

Welcome to 松井研究室!

松井 俊浩
松井研究室
松井 俊浩教授
TOSHIHIRO MATSUI

こんにちは!松井研究室へようこそ!!
情報デザイン学部の学部長であり、IoTやセキュリティ分野の科目を担当する松井先生の紹介インタビューを紹介します。

【自己紹介】

産業技術総合研究所(AIST)の定年退職直前に情報セキュリティ大学院大学で大学教員になりました。東京情報デザイン専門職大学の設立には、2021年当初から、カリキュラムの制定、教員の採用などに関わってきました。研究者人生は40年、教員はその最後の7年です。

授業するのは今でも緊張します。十を教えようと思ったら、教員は百くらい勉強しなければなりません。しかし、それを繰り返すうちに自分の中にも系統だった信念が生まれてきて、それを若い人たちに伝えたいと感じます。生まれて高校までは、岐阜県、大学は東京、社会人としては、ずっと茨城県つくば市です。米国での在外研究が3回、オーストラリアが1回、合計2年ほど英語圏に住んでいました。

趣味は、自転車を作ることと乗ること、ランニングもずっとやっていました。それから、水彩画を描くこと、アマチュア無線、カメラと写真などです。ITを使いこなしてサーバーを構築することは、趣味なのか仕事なのかわかりません。数学やコンピュータのYouTubeを見ること、地域の歴史を調べることも好きです。

画像

【研究分野(職業分野)を教えてください!】

産業技術総合研究所ではロボットを研究していましたが、最後にはセキュアシステム研究部門の部門長として、情報セキュリティの研究者になりました。実は、IoTやAIも得意だったりします。ロボットのためには3次元モデルを駆使したCGの生成や、人の運動と心理反応の研究などもやっていましたので、情報・ITについては、かなり広い知識を持っているつもりです。情報デザインには、はまり役ではないかと自負しています。

研究というのは、一つの専門分野をじっくりと深く追求する行為であり、あちこちの領域をかじるのは、どれも中途半端に終わりがちですから、良策と言えないかも知れません。それでも広めの勉強をすると、「あ、これもあれも内積計算だ」と共通点に気づいたり、「あっちの領域のこんな手法でこの問題が解けるんじゃないか」と応用できることがあり、新しい研究が開ける可能性もあると思っています。今は、ITの基本概念でビジネスを変革することを模索中です。

【その分野を目指そうと思ったきっかけはなんですか?】

人は誰でも不思議なことが好きで、不思議なことはもっと知りたいと思うものです。私が子供の頃、強く不思議に思ったのは、ラジオやワイヤレスマイクが、つながっていないのに声を電波で送れることでした。その原理を大人に聞いてもわからないので、本を読んでいろいろなものを作りました。そういう電気回路をいくつか作っているうちに、アナログ回路は安定して動作させるのが難しいのと、電気回路でできることは限られているので、これからの時代はデジタルだろうと気づきました。

1975年頃のコンピュータの世界はまだ未熟で、何かプログラムを作るとしても、それはOSや言語などコンピュータをうまく使うためのプログラムであり、社会に役立つ生産的な仕事をしていないような気がしました。それで、コンピュータを社会の役に立たせたいと考え、ロボットの世界に飛び込みました。ところが、ロボットのプログラムを書いてみれば、それはやっぱり、当然ながら、ロボットを上手く動かすためのプログラムにすぎないのです。そして、ロボットは、機械や環境が不安定だから、やはり安定しては動かない。不安定の最たる要素である人間の情報処理特性を解明するというデジタルヒューマンの研究に加わったりもしました。

情報セキュリティの研究を始めたのは、上司の命令でした。セキュリティは、深刻な問題で、周囲にも国の研究所(産総研)としてはセキュリティをやるべきだとは言っていましたが、まさか自分がやることになるとは思いませんでした。そうしてセキュリティの研究を始めてすぐにわかったのは、最高のプログラムはセキュリティにあるということです。攻撃者は、狭い入り口から、重箱の隅にある脆弱性を突いて攻撃プログラムを送り込んでくる。失敗したら刑事罰という緊張の中では、プログラムを洗練させざるを得ない。それを迎え撃つ側は、防護が見破られないようにして証拠を掴もうとする。

デジタルの世界は、ゼロ・イチで割り切られ、論理的に筋の通った、わかりやすいプログラムを書くことが推奨されます。ところが、セキュリティの世界では、魔法のように不思議な動作がプログラムされています。この不思議を解明しつつ、社会に求められているセキュリティに貢献したいと願っています。

【学生時代の思い出を教えてください!】

1976年、大学2年生の時に、マイクロコンピュータを知りました。8ビットの6502マイコンボードが11万円、秋葉原で売られているメモリは1kバイトで1万円でした。どうしてもそれが欲しかったので、マイコンショップでアルバイトをしました。メモリはそんな量では足りず、ディスプレイ回路を作ったり、キーボード、テープ、プリンタ、フロッピーなどのために、ずいぶんバイトを続けねばなりませんでした。感覚的には、今(2023年)の10倍以上の値段でした。

マイコンボードには、ほとんど何もプログラムが載っていませんし、プログラムしようにもOSも、プログラム言語処理系(アセンブラ)もありません。貧乏学生が大きな投資をした以上、使えるようにしないと元がとれません。それでいろいろなプログラムを機械語で作りました。カセットテープにデータを読み書きしたり、プリンタをドライブしたり、キャラクタディスプレイをテレタイプのようにさせたり。大学3年から4年になる頃、マイクロPLANという小さな言語のコンパイラを実装しました
(https://github.com/Titanium-Mutex/Micro-Plan )。それからは、いろいろなプログラムをちょっとした高級言語で記述できるようになりました。

4年生の後期、卒業研究のテーマには、このマイクロPLANのコンパイラの改良を選びました。ここに来て、趣味で始めたマイコンが、学業に役立つことになりました。コンパイラの記述には、富士通の中型機のPascalを使わせてもらいました。すでに機械語で十分に勉強してあったので、卒研は、鼻歌交じりで楽しく進めることができました。

【入学してくる学生に一言お願いします!】


昔は、無線機を作る、模型ヒコーキを作る、マイコンを作る、プログラムを作る、ゲームを作るなど、何でも自分で作らなければなりませんでした。しかし、作ることは楽しく、また作ることで、部品の違いや入手法、組み立て方や修理の方法などたくさんを学ぶことができました。今は、何も作らずとも、完成品が安く手に入るようになりました。

これから生きて行くには、二つの道があります。今あるものよりもっとスゴイ、新しいモノを作るか、作られたモノを組み合わせたりうまく使って新しい価値を作り出すことです。新しい価値を作るには、一から何かを作らなければならないこともあるでしょう。みなさんは、世にあるさまざまな便利なモノを楽しく使うだけでなく、新しい便利なモノを作り出すことと、便利なモノをたくさん使ってもっと素敵な使い方を創造できる力を身につけて欲しいと思います。

  • EVENT OPEN CAMPUS
  • 資料請求
  • 業界コラム